仕事で課題などに直面した時、当然ですが最適解を求めます。社会人であれば一般的な話かもしれません。
つい先日、仕事以外でも自然と最適解を求めるプロセスを使っていることに気付きました。
仕事で使っていることは日常の習慣へ、日常で使っていることも仕事の習慣になるんだなと感じた話です。
私はいま、妻の実家に居候させてもらっています。その日は息子の病院の日でした。
私はどうしても仕事が外せず、妻と妻のご両親が息子を病院に連れて行ってくれることになりました。
皆忙しそうにバタバタした朝。
お義父さんが家を出る前に、ぼそっとと一言。
「洗濯物干すの忘れた。帰ってきてからやろう。」
特定の時間に仕事が外せなくても、空いた時間に洗濯物を干すことぐらいはできます。私は仕事がひと段落した時に洗濯物に手を伸ばしました。
お義母さんの下着を干していいのだろうか
まずはじめに断っておくと、私はいつもは「お母さん」と表記しています。妻のご両親を呼ぶときも、お義父さんお義母さんではなく「お父さんお母さん」です。心の中では。
さて、前置きは置いといて本題に戻しましょう。洗濯機の洗濯物をカゴに入れているとお母さんの下着がありました。
「お母さんは下着を見られたくなかったのではないか。」
そう思い、カゴに入れ始めた洗濯物をふたたび洗濯機に戻しました。
そしていったんは仕事に戻りました。
ここでの最適解は何か
仕事を始めたはいいものの、洗濯物を干そうか迷い気持ちがふわふわ。ましてやこの日は朝から快晴。普通なら洗濯物は干したいところです。
ここでの最適解は洗濯物を干すことです。
しかし、懸念点がありました。それは冒頭でも述べた「お母さんは下着を見られても問題ないか」ということでした。
では、この点を無視して洗濯物を干したらどうなるのか。
私が怒られるのか?
答えはNoです。怒られるのは私ではありません。そうです、怒られるのはお父さんです。
お父さんが洗濯物を干さなかった理由は分かりません。忘れていたのか、それとも時間がなかったのか。
どちらにしても、なぜ忘れたのか、なぜ余裕を持って起きなかったのか、と怒られる可能性があるわけです。お父さんが干していれば、お母さんは私に下着を見られなかったわけですから。
お父さんが怒られのは見てられません。とても優しいお父さんです。
そこで、私は「お母さんは下着を見られても問題ないか確認」することにしました。
では誰に確認するのがベストでしょう。電話の相手はお母さんでなくお父さんです。
お母さんに電話をしてしまうと、やらなくていいという返事が必ず返ってきます。これはお母さんの優しさ、気遣いからです。
おそらく「この晴天の日に洗濯物を干したい」という気持ちが勝っている、そう思ったのがお父さんに電話をする理由です。
お父さんに電話で確認したところ、最初の返答はは干さなくていいというものでしたが、
「晴天なので、お母さんが下着を見られても問題ないなら干したい。」
という押しに対し、
「見られたくないということはないけれども。」
ということだったので、最適解である「洗濯物を干す」を実行できました。
仕事も日常生活も最適解を求めるプロセスは同じ
ここまでエピソードを話してきましたが、言いたかったことは「仕事の思考プロセスは日常生活にも当てはなるな」ということでした。
これは私のやり方ではありますが、何か問題や課題にぶち当たった時はまず最適解を考えます。
では最適解とはなんでしょうか。私は関わる全ての人がハッピーなことだと思っています。
ここでは、妻、お父さん、お母さん、私です。(息子も)
今回の出来事に当てはめると、当然ですが最適解は洗濯物を干すことです。洗濯物がちゃんと乾けば皆ハッピーですし、私も気分がいいです。
ただ主観では最適解であっても、他の人にとってはそうでない可能性があります。今回で言えば、「お母さんは私に下着を見られたくないのではないか」ということです。
この問題点に対して解決策を模索し、もっとも良いものとしてお父さんに電話という結論になりました。
つまり、
最適解を見つける(みんながハッピーになること)
↓
最適解に対し課題を考える(ハッピーではない人がいるか)
↓
課題に対し解決策を模索する(誰にどうすれば課題が解決するか)
という考えだったわけです。
私はエンジニアとしてIT製品を作っていますが、仕事でも家庭でもこの思考プロセスを踏んでいることが確認できた出来事でした。
こういったプロセスは仕事では頭の中でよく使っていました。しかし、日常的にも使っているんだな、と感じた瞬間です。おそらく仕事で使っていなければこんな風には考えません。
逆もしかりです。こういったプロセスを日常的に使う事を意識していれば、最適解を導くプロセスを仕事でも自然とできるようになるでしょう。
最適解が見つからないから仕事は面白い
今回の事例は単純で、数分考えれば最適解は見つかるようなものでした。しかし、仕事だと最適解が見つからず悩みもがくことは頻繁にあります。
なぜ最適解が見つからないのか。それは、当然なんですが関わる人数が多いからです。関わる人すべてをハッピーにしないといけません。
私の作っているIT機器は、世界中の人や会社が購入しています。関わる人が数人、数十人なら、購入者にどのような仕様を求めているか確認すればいいだけ。
でも何万人、何十万人が使う機器となると別の話で最適解は1つではありません。(ごくたまにですが)作った製品が仕様不良と言われることだってあります。
関わる人やハッピーにすべき人が多ければ多いほど、どのようにハッピーにできるか上司や同僚とも意見が割れます。
そのたびに、調査し議論しヒアリングし、より多くの人がハッピーになるよう努力します。
サラリーマンだからといってイエスマンにはなりたくありません。日頃からみんなが最適解を求める訓練をしていれば、意見がぶつかり、いろんな人の面白い話を聞けそうです。
これだから仕事は面白いですね!